捌(裁)かれる男の話
  -――カフカ『訴訟』と賢治『注文の多い料理店』

 『訴訟』は、腹がへって朝食を頼んだのに、間違ってGericht([食事・料理ならぬ]裁判所)が来てしまい、朝食の方は横取りされて目の前で食われたあげく、おしまいにはそこの刑吏によって「肉切り包丁・肉屋の包丁(Fleischermesser)」(S.311)(日本ならさしずめ刺し身包丁)で裁かれてしまう、食事を注文したのに、逆に調理用ナイフで捌かれる男の話、というふうに最短要約できる。
 日本人なら宮澤賢治『注文の多い料理店』を思い出すかもしれない。そこでは、(東北の)森に狩猟にやって来た大都市東京の上流紳士たちが山奥で不穏な天候に襲われ、道に迷い、お腹を空かしたところでレストラン「山猫軒」を発見、「注文が多い」というからにはきっと客が多く、流行っている店にちがいないと喜んで料理を注文したまではよかったが、逆に様々な注文をつけられて、身ぐるみ剥がされ、あやうく自分たちが料理されそうになる。かろうじて逃げ帰るが、恐怖で紙屑のようにくしゃくしゃになった顔だけは、元に戻らなかった、というお話である。
 首都東京によって搾取される東北、近代文明によって汚染収奪される辺境の自然という構図は原発事故の現代においてますます深刻の度を深めていて、東京モダン紳士の裁判所が東北の山奥にあり、裁くのが森の野生動物たち、というのは理にかなっている。
 一方、銀行員K.の法廷は都市周縁の貧しい労働者街の安アパートの一室にある。虐げられる下層社会が驕れるエリート行員ヨーゼフ・K.の裁判官かというと、それを否定はできないものの、必ずしもそんなに単純明快な社会主義的図式で割り切れるわけでもない。
 むしろ、料理と裁判所の意外なつながりが両作品に共通する点に注目したい。
 辞書には、Gericht1料理とGericht2裁判(所)と、二つ別箇に載っていて、懸け離れた言葉どうしのように見えるけれども、語源は同じrichten、ゆがんだものを真っ直ぐにする、調え整理する、から来ている。皮、骨、筋、肉の様々な部位を切り分け、食に適するよう調えるところから料理、複雑に絡み合った事件を解きほぐして、理非を明らかにすることから裁判。日本語の裁く・捌くも同様である。
 人が獣を、の場合は捌く・料理。人が人を、の場合は裁く・裁判である。
 賢治童話では、逆に獣が人間を裁(捌)くところにブラックなユーモアと風刺があり、カフカでは人が人を獣のように捌(裁)くところに不気味さがある。「まるで犬のようだ」というK.最期の嘆きにはそういうリアリティーも込められているのかもしれない。
 冒頭の「朝食」略取から結末の「肉切り包丁」の裁き(捌き)に至るまで、この裁判所はK.の「生きようとする意志」、現世的世俗的生に対立している。
 予審判事は、K.の審理が行われた日に仕事をしていて暗くなると、廷吏の妻に命じて「小さなキッチン用ランプ(eine kleine Küchenlampe)」(Pr.80)を持って来させる。その灯りで深夜まで書類作成に励んだ後、借りたランプを返す名目で廷吏夫妻の寝室に忍び入り、人妻の寝顔に見入るようなまねもする。


  弁護士オフィスに懸かっている肖像画で、裁判官が腰掛けている椅子は玉座と見まがうばかりだが、実は古い鞍掛けで覆ったキッチン用チェアー(Küchensessel)にすぎない。
 それぞれ廷吏の妻とレーニの口を通して、判事らの好色や見栄っ張りの例として報告されるのだが、気になるのはむしろ、この裁判所とキッチンとの奇妙な結びつきの方である。
 食と女の牙城である調理場をもテリトリーに収めようとする意図がこの裁判所には認められるようだ。
 一方K.も、逮捕された日の晩、下宿の女主人に「目が覚めた後すぐ、アンナ(賄い婦[筆者注])が来ないことなんか気にしないで起き出し、誰か邪魔する者がいてもかまわず、(中略)、今朝は特別にキッチンかなんかで(etwa in der Küche)朝食をとっていれば、(中略)要するに、理性的にふるまっていたら、それ以上何も起きなかったでしょう」(S.34)と言っている。裁判所の攻勢をかわすための拠点としてやはりキッチンが選ばれるのである。
 もっと興味深いのは、弁護士フルト宅に「思いがけず大きな」キッチンがあって、「豪華な設備が整っており」、「かまどが通常の三倍も大きい」(S.229)と、されている点だ。
 カフカを読んでいて不思議に思えることの一つは、一見話の筋(通常の意味での筋と呼べるものがあるとしての話だが)とは無関係に思えるこういう箇所の存在である。被告たちの世俗的な生を否定するかに見える裁判所(Gericht)の攻勢から、彼らを守る立場の弁護士の家に、もう一つのGericht(料理・現世的生の糧)を調理するための立派な施設が整っているというのは偶然でないかもしれないのだが、肝心の弁護士は病弱で床に伏せっており、せっかく立派な調理場なのに、そこではわずかに病人のためのスープが作られるのみ。被告人のための滋養分豊かな料理がこしらえられる兆候はまるで見られない。その豪華な施設は虚仮威しに過ぎないようである。
 この男のナースで情人でもあるらしいレーニは、「たいていの被告人を美しいと思い、誰にでも首ったけになり、もちろん皆からも愛されているよう」(S.250)で、そのことを二人で話題にすることもあると、弁護士は語っている。この女の右手中指と薬指との間には第一関節にまでも達する「結合膜(Verbindungshäutchen)」(S.145)が張っていて、(結婚・婚約)指輪がはまらない構造になっている。彼女の性はポリガミックで娼婦的であり、家庭や子孫繁栄につながることはない。家父長的秩序の外にいる女である。
 レーニは「胡椒のようにツンと鼻に来る挑発的な刺激臭(ein bitterer, aufreizender Geruch wie von Pfeffer)」(S.146)を発散するが、その蠱惑的エロスは不毛であり、ほとんど使われることのない豪勢な調理施設と好一対をなしていると言える。


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