バリアフリー度比較 日本とドイツ

  妻は身障者なので、日本で暮らす限りほとんどのバスにも市電にも乗れない。バスなどは車椅子マークが付いているのに入口に高い段差が二段もあって、登ることも出来ないし、車椅子を利用することも不可能だ。
  テレビの画面で見る限り、さすがに首都東京の都営バスには段差がなく、足の不自由な者でも楽に乗り降りできるみたいだが、ついこの間まで住んでいた広島のバスは、昇降口に例外なくキツイ段があって、老人や身障者にはきわめて不親切な造りになっていた。市電もドイツから輸入した車両以外は高い段が二段もあって、身障者は門前払いだし、足腰の弱った老人は皆乗り降りに苦労していた。
  これが「平和都市」ヒロシマの実態である。
 ついでに書いておくと、盲人の歩行を助けるために粒々の付いた黄色いゾーンが歩道に設けられていたが、それを跨ぐ形で自転車が止めてあったり、荷物が積み上げられていたり、車椅子マークのついた駐車スペースに健常者が車を止めて平然としていたり、といったことは日常茶飯である。注意でもしようものなら逆切れして怒鳴られるくらいならまだマシ、暴力を振るわれかねないから、黙っているしかない。
  「平和」「平和」とヘイワを口にするのは簡単だが、平和に生きることは難しい。
 広島は「仁義なき戦い」の舞台となっただけのことはあって、「平和」の看板とは裏腹にけっこう殺伐としたところもあった。

  もっとも、これは伊豆(伊東市)に来てもあまり変わらない。
伊豆高原駅を発着するバスは本数が少ないうえに、やはりキツイ段差があって、年寄りには不親切、身障者は無視される構造になっている。
  デイサービスセンターからの小型送迎バスにはさすがに、車椅子に乗ったまま乗り降りできる装置が付いているが、どうにか人手を借りて段を登れる家内のような者の場合には、時間と手間を惜しんでか、めったに使わしてくれない。

  JRは利用客の多い駅にはエレベーターを付けたので、乗り降り可能だが、最寄りの小さな駅だとたいていは階段があるので使えない。

  ドイツに行くと、家内でもほとんどの公共交通機関が利用できる。
  特にバスに乗れるのには夫婦ともども感激する。
  都営バスと同様、フロアーが低いのだ。段差がないので、歩道から楽々乗り降りできる。車椅子のまま乗り込むこともできて、車内には車椅子や乳母車用のスペースが設けられている。ベビーカーを押した若い母親が乗り込んできて、乳母車用スペースに収まる。車椅子と乳母車合わせて3台分の席が用意されている。電動車椅子の人も乗り込んでくる。ドイツ人はでかいので車椅子もでかく、ましてや電動ともなると巨大だが、それでもどうどう悪びれる様子もなく乗り込んできて、乗客も迷惑顔なぞしない。

ベルリン・バスドアの車椅子マーク、設備もしっかり


  市電の中の乳母車、車椅子用スペース


 車椅子に乗ったまま歩道からバスへ

  市電も同様である。ウィーンでもベルリン(ベルリンで市電が走っているのは旧東ベルリン地区だけ)でも、バリアフリーの市電はまだ2台に1台くらいだが、ウィーンの地下鉄駅には必ずエレベーターが付いていて、JRより親切である。

  身障者に対するドイツ人の態度にも感心する。乗り降りの際には気軽に手を貸してくれるし、バスなどは入口を低くするために車体を傾けられるよう設計されているし、それでも無理な時には、運転手が降りて来て地面との間にスロープを差し渡してくれる。中には急ぎの乗客もいるはずだか、みな嫌な顔一つしないで、ニコニコしながら見ている。
  設備が整っているだけでなく、人間も親切なのだ。

  ベルリンで家内を車椅子のまま降ろそうとして手間取っていると、近くにいた14、5歳くらいの男の子が二人さっと立ちあがって、車椅子を両側から抱え上げ、楽々と車外に下ろしてくれた。人に親切をするという意識より、人助けが楽しくて、愉快そうにやっている感じだった。家内が「ダンケ・シェーン」と片言のドイツ語でお礼を言ったら、家内は相手の返事を聞きちがえて、「カルイ、カルイ」って言ってくれたよ、と喜んでいた。しかし、実際は、笑いながら„Kein Problem, kein Problem“(何でもありませんよ、気にしないで)と繰り返したのである。14、5歳とは言っても私より背の高いドイツ人の男の子にとって、小柄な日本婦人などは確かに「カルイ」のかもしれないが。

 „Kein Problem“で思い出すのは同じベルリンのRing(ベルリンを一周一時間ほどかけて時計回り・反時計回りにぐるぐる回る環状線)に乗っていた時のことだ。ある駅でスキンヘッドの屈強な若者が足腰の不自由な老人の手を引いて乗り込んできた。スキンヘッドで体格がいいと言えば、ネオナチか何かを想像するが、見た感じは確かにそんなふうだった。たぶん祖父の手を引いているのだろうが、なかなか良いところがあるじゃないか、などと思いながらチラチラ見ていた。3つ4つ先の駅で老人がのろのろ立ちあがると青年も脇を支えてドアのところまでついて行った。一緒に降りるのかと思ったら、老人だけ降りて、その際何度もお礼を言っていたところを見ると、どうも祖父とかではないらしい。ただの知り合いかもしれないし、赤の他人が駅で不自由しているところを見かねて手を貸しただけかもしれない。だとするともっと感心なことだ。その時青年が口にしていたのが„Kein Problem“である。小声で何度も相手をいたわるように繰り返していた。


ベルリンS-Bahnから車椅子、窓の自転車マークにも注意。自転車用スペースもある。ということは、駅に大きなエレベーターが設置してあるということ。

  身障者の妻が若者から親切にされた経験をもう一つ上げると、ウィーンの市電の駅でのことである。妻は車椅子を降りでヨタヨタした感じてベンチの方に歩いていき、私は携帯用車椅子を抱えて後からついて行った。だが見ると、そこには12、3歳くらいの女の子ばかり4、5人、ベンチに腰掛けた二人とあと三人ほどが地べたに座り込み、いわば車座になってタバコをふかしながら何やらにぎやかにダベッテいるではないか。オーストリアだって未成年者の喫煙は禁じられているはずだ。これは注意してやらないといけない。こんなケシカラン振舞いを見て見ぬふりをするなど日本男児の恥である。だが、彼女らに向かって話しかけるにはduだろうかSieだろうか。相手は複数だからduではなくihrだが、ihrなどめったに使わないから、動詞の活用を間違わないようにしなくてはならん…、などと思案しながら、あと2、3メートルというところまで近づいた。その時である。われわれの存在など全く眼中になかったかに見えた彼女らがパッと鳩の群れが飛び立つみたいに一斉に立ち上がり、跳ね起きて、さあどうぞ、とベンチの方を指さしたのである。あっけにとられ、機先を制せられた形で、もはやお説教どころではない、逆に„Danke schön, vielen Dank“と感謝の言葉を繰り返すしかなかった。その間に彼女らは何事もなかったみたいに談笑を続けながら向こうへ去って行った。どうやら市電に乗るのが目的ではなく、お喋りの場としてベンチのある市電の駅を選んだだけだったらしい。

  生意気ざかりの少年少女たちにどうしてこんな親切がさりげなく出来てしまうのだろう。

  隣人を愛しなさい、弱者をいたわりなさいと教えるキリスト教のせいだろうか。ドイツの学校には宗教の時間があって、それが道徳教育にもなっている。また、10代半ばになると堅信礼も受ける。

  第二に、身体障害者のための設備が税金を投入して社会的にきちんと整備されていることと関係があるのではないか。いくら口先で「隣人を愛しなさい、困っているお年寄りや弱者をいたわりなさい」と教えてみても、国や市が金をかけ、率先して施設・設備・制度を整え、その教えを実践していなければ、どんな立派な教えにも説得力はない。ドイツでは公共交通機関のみならず、至る所で身障者や老人が不自由なく生活できるための設備が整えられている。口ではなく、背中で教育するのは何も父親だけとは限らないのだ。

  その点で一つ気になったことは、人民のための政治を行っていたはずの社会主義体制だった旧東ドイツでは、そういう設備が至って乏しいことである。
 たとえばベルリンの目抜き通りウンターデンリンデンにある国立オペラ劇場(その向かいはフンボルト大学)には、二階や三階席に通じるエレベーターがない。いくら二階席で見たくても、パルケット(一階座席)で見るしかない(そこにはわずかながら身障者用の席が用意してはあるが)。幕間に軽食や飲み物を摂るためのレストランも階段を使わないと行けないにもかかわらず、エレベーターもエスカレーターもないので、足の不自由な者には付き添いが買って運んで行ってやらねばならない。エレベーターがないのは旧東独のコーミッシェ・オーパーや他の劇場も同じである。
  なお、国立オペラ劇場は今取り壊して新築中である。23年後には新オペラハウスがかんせいするはずだが、そこには幾らなんでもエレベータが設置されるだろう。

 駅でいうと旧東独側のOstkreuz駅。これはRing(環状線)と、謂わば中央線とが交わる重要な駅であるにもかかわらず、エレベーターもなければエスカレーターもない。

  また東ベルリンの空の玄関口Schönefeld空港は市電から直結しているものの、延々1キロ近い地下連絡路をただひたすら歩かされる。その間スロープが幾つかあり、車椅子を押すのはかなりの重労働である。エスカレーターなどが設置されていないのだ。もっとも、これは数年前のことなので、その後付けられたかどうかは知らない。

  これはただ経済的に不如意だったせいかもしれないが、それにしても人民の幸福を謳い文句にしていた社会主義国家がいかに看板倒れのものに過ぎなかったかを示す典型的な実例ではないかと思う。東側陣営が軒並み倒壊したのもムベなるかな、と納得できる。

  ただ西側も完璧というわけではない。
  旧西ベルリンのS-Bahn駅はほぼエレベーターが付いているが、地下鉄は2駅に一つくらいだ。特に不便なのはDeutsche Oper駅にエレベーターのないことである。(オペラハウスの中にはむろんエレベーターがある。)オペラを見に行く人には年寄りが多いのに、この設備がないのは理不尽な話で、エレベーターのある隣の駅まで乗ってそこから引き返すしかない。雨の日など車椅子では不便で不快である。
  オペラを見るだけの余裕のある人はタクシーくらい利用しなさいと言うことか。しかし今やオペラは庶民の娯楽になっているのだから、早急にエレベーターかエスカレーターくらい付けてほしいものである。

  さてドイツ人がなぜこんなにも老人や身障者など弱者に対して親切なのか、理由を二つ挙げたが、もう一つ、私なりの考えを言うと、逆説的に思われるかもしれないが、これは西欧が日本などとは比べ物にならないくらい緊張感に満ちた競争社会であることと関係があるのではないだろうか。
 彼らはやたらと笑顔など見せない。笑みはスキを見せるのと同じだからだ。それくらい肩肘張って生きている生真面目なドイツ人たちが、車椅子を押して歩いていると、われわれ二人に向かって微笑みかけるのである。それだけではない。実際に道を譲るし、ドアのところで鉢合わせすると必ず微笑みを浮かべて脇に寄り先に通してくれ、彼らが先の時はドアを開けたまま待っていてくれる。
 親切には違いないが、ただの親切ではない。
 身障者として競争社会から脱落し、競争に加われない人間を見ると、思わずホッと緊張が緩むのじゃないだろうか。間違いなくこれは自分の競争相手ではない、そのことが嬉しく、相手を気遣う余裕が持てて、そのホッとした気持ちを親切という形で思わず表現しないではおれない、そういうことじゃないだろうか。
  人間心理の裏を読んで得意がるわけではない。タカをくくっているわけでもない。

  競争社会から脱落し、競争に加われない人間を、負け犬の憾み・鬱憤を晴らすべく、踏みにじってもいいわけだし、バカにしても無視してもかまわないわけだが、そうする代わりに、そういう相手をいたわり、親切にするというのは、やはり洗練された文明人の証しであろう。


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