文学の中の女中(乳母)たち ---日本とドイツ---
日本編3
初[はつ] (由紀しげ子『女中ッ子』)

 以下、筋の紹介が詳細に及び、やたらにだらだらと長くなり過ぎる感があるのだが、理由は二つある。
 一つは『坊っちゃん』や『津軽』と違って、この小説では女中が主人公で、脇役ではないこと。
 二つ目は、由紀しげ子が今や忘れ去られた作家らしく、アマゾンで検索してみても、彼女の作品で現在刊行されているものは一つも見当たらない。あれだけたくさん種類のある文庫のどれ一つにも由紀しげ子の作品が入っていないのだ。
 いきおい詳しく紹介するしかなかった。
 『女中ッ子』(1954年)は彼女の代表作の一つで、最もポピュラーな作品でもあった。
 発表の翌年(1955年)には映画化され、左幸子の名演で話題になったこともある。ところがその映画のDVDもレンタル店に置いてない。



 不思議というか、惜しいことだ。
 これだけ本が溢れかえる中で、由紀しげ子作品集一つ新刊書の本棚に見つからないというのは、出版業界にとっても恥ずかしいことではないだろうか。

 『坊っちゃん』の清のところで、「文学に登場する女中・乳母は、主家の嫌われっ子、はみ出しっ子、持て余されっ子と気脈が通じあい、家族の中の愛薄い子に愛情を注ぐことが多い。」と書いた。津島家の修治に対するたけの愛情もそうだったが、『女中ッ子』の初と次男坊勝見の関係も例外ではない。
 また、この小説が書かれた昭和29年はまだ日本が高度成長期に入る前で、東北の田舎には戦前と同じ素朴な人情や土臭い道徳観が残っており、現代大都市の人間が忘れてしまった人生知のようなものが、田舎の貧しい庶民の間にはまだ生きていたと思われる。
 『女中ッ子』の織本初の中には越野たけと同じ血が流れている。
 東京の中の上クラス・サラリーマン家庭の多少裕福かもしれないが、何か人格の芯のようなものが抜けていて、情愛とか道義心とかの面で幾らか欠けるところのある奇妙な人たちと、山形から出て来た朴訥で真っ直ぐで愛情に満ちた初という14、5歳の少女との何かとちぐはぐした対比もこの小説の見どころである。

 「そそっかしくて肝心な時に肝心な物を見えなくする癖」のある織本初は、修学旅行の時、お土産を買おうとしたら財布がないのに気付き、困っていたところを加治木梅子夫人に助けられた。山形の田舎に帰ってから、借りたお金を書留にして礼状を添えて出したが、返事はなかった。年始状で、お金は無事着いたか尋ね、この「三月中学を卒業したら東京へ行って女中になりたい」が、加治木家で使ってもらえないか書いて出すと、金は着いた、家でも「手伝い」は要るから、東京へ出たら来てくれ、と返事が来た。

 既にここで、奇妙に不調和な人間像が浮かび上がる。加治木夫人は修学旅行中に財布を無くして困っている田舎の中学生を助けてやるだけの親切心を持ち合わせている反面、その生徒が礼状とともに借りたお金を送ってきたのに、受け取ったと返事も出さないのである。

 ともかく年賀状の返事を頼りに、初は加治木家を訪ねたのだが、あいにく奥様は外出中で、奥様からのハガキも、あんなに大切に懐にしまっておいたはずなのに、例によって肝心の時に見つからない。
 主人にはモノ売りと間違えられて、要領を得ないし、家庭教師で半ば書生のようにして加治木家に出入りしている若月という学生から表玄関ではなく裏の勝手口に回れと言われて、台所の上がり口に腰掛けながら、「家出じゃないか」などと、からかい半分の質問を浴びせられる。
 家出ではない、女中奉公に来たのだと言うと、長続きしないねと言われ、理由を聞くと、
 「バカバカしくて倦きちゃうからだろう」という。
 「おれ倦きることあねえ。働くこと好きだもん」
 「働くのがそんなに好きなら女中よりもっといい稼ぎ口があるだろう」
 「おれ女中がええです。柄だって先生も言ったけ」
 「学校できなかったんだな」
 初は貧しくて家の手伝いのために学校に行けない日が多かったから、確かに成績は振るわなかったが、体操だけは得意で、走るのは誰にも負けなかった。これが後にモノをいうことになる。
 そのうちに加治木家の親戚の娘さんで家事手伝いをしているひろ子さんという若いきれいな人が帰って来て、初を無視するばかりか、暗に追いたてるような態度を取るので、やむなく初は「湯殿の焚口の石の上に退避した。」

 彼女がかすかなツテをたよりに女中奉公を志願したのは、もともと貧乏な実家で今や家計上の実権を振るう兄嫁におされて、小遣い銭にもこと欠く「年取った両親に仕送りをして少しでも楽をさせられたら、と思ったからだ。
 しかし、なかなかすんなりと事が運ばないのに少々気落ちして、「ボンヤリ石にこしかけていると、ピシリと何かが彼女の脚に当たった。小豆粒ほどの小石だ。
 「痛え!」
 小石がまた近くに飛んできたので、立ちあがって見回すと、「つつじの株のうしろから白シャツの男の子が石ハジキで彼女の方をねらっている。初が手招きすると男の子は石ハジキを半ズボンのポケットにしまって出て来た。
 「やい、当たったろう」
 「痛いよ」
 「何してんだい、ここで」
 「待ってるの。あんたこの家の子?」
 「うん、そうだよ」
 「お母さん何処さいったの」
 「俺知るもんか。雪坊とあー坊とどっか行っちゃったよ」
 「あんた行かないの?」
 「行かない。勝坊はお留守番だい」

 これが、加治木家の次男坊勝見少年(9歳)と初の最初の出逢いだった。

 一人だけ除け者にされ、置いてけぼりをくらって、すねているようだ。しかもこの時ばかりでなく、いつものことらしい。痩せていて蒼白く、神経質そうで、目つきは暗くきつい。初は一つ下の弟のことを思い出した。戦後間もなく疫痢で死んだ。手のつけられない程のきかん坊で、「彼女はずいぶん泣かされたが、死なれてみると、兄弟の中でいちばん懐かしい思い出である。」

 ここで「雪坊」と言われているのは長男の雪夫のことで、14歳、頭のいい秀才型。体が弱かったから、大事にされ、愛されていた。「愛されているという自信がこの子を横着にし、大人を甘く見てずるく立ち回らせるところがあった」が、大目に見られていた。山形から出て来た女中の初をバカにして、すぐに八戒というあだ名をつけるのも雪夫である。皆が真似て、初を八戒、八戒と呼んだ。初・はつにひっかけたのと、たぶん猪八戒の略でもあって、イノシシみたいに武骨で真っ直ぐでバカ正直な所を言ったのだろうが、当たっていなくもなかった。
 「あー坊」というのは末子で女の子のあきら。「一家の女王」だった。「過度の愛情と阿諛にふくれ上がったこの8歳の少女は特権的女性の持ち得る凡ての悪徳を早くも危惧としてそなえていた。」

 母親の梅子夫人は「雪坊とあー坊」だけを連れて出かけ、次男の「勝坊」一人だけ除け者で、お留守番を言いつかったのである。
 勝見は一家のはみ出しっ子、持て余されっ子、ひねくれっ子なのだ。
 しかしこの少年だけが奇妙な家族から排除されているために、今のところ希薄な人間性の毒に当たることを免れているとも言える。

 初の飾らぬ人柄を直感的に感じ取って幾らか警戒心わ解いたのか、あるいは、女中奉公のつもりでこの家を訪ねてはみたが、うまく事が運ばず、おまけに邪魔者扱いされて落ち込んでいる初に、自分の同類を見つけて親近感を覚えたのか、勝坊は初対面の初にさっそく重大な秘密を教え、彼女を共犯仲間に引き込む。
 勝坊は家族に内緒で、捨てられた仔犬を飼っているのだ。
 物置小屋の奥にコモをかぶせられて、「まっくろな生まれてまもないくらいの仔犬が震えながら立っていた。仔犬はタライの中に上等のラシャのきれを敷いてもらって入れられていた。」
 この仔犬のチビこそ小説のキーマン、いや、キードッグである。
 捨てられた仔犬は家族に見捨てられた勝坊であり、勝坊は仔犬を飼い、育てることで、自分を慰め、癒し、自分を破滅から救おうとしているのだ。しかしその仔犬に自分を投影したのは勝坊ばかりではない。帰宅した梅子夫人にしぶしぶ女中として雇ってもらえはしたが、内緒で置いてもらっているわけではないという点で仔犬よりはマシなだけで、人間の序列ではむろん初がいちばん下である。
 勝坊、仔犬、初の三者同盟は自然の成り行きであった。
 
 勝坊にはもう一つ秘密があった。オネショである。未明に、他人に見られぬよう独りで後始末しようとしているところを初に見つかるが、「恥と困惑の塊りのようにじっと初のほうを見ている」少年に、「やったんだね、いいよ、いいよ、初の方が上手だから初がしてあげる」と、勝坊の手からアイロンを受け取りながら優しく言い、「初もよくやったからね」と少年を恥じさせないためのウソまでつく。新しい寝間着やシーツに取り換えてやり、「またいつでもとりかえてあげるから心配しないで持っておいでね。」
 少年はこの時を期に初に対する警戒心を完全に捨てて、言われた通り明け方近く小便でぬれた衣類やシーツを持って女中部屋を訪れ、初が始末してくれている間に初の寝床に入ってぐっすり眠り込んでしまい、家族に見つからぬよう、明け方に少年を彼の部屋まで連れ戻すのが一苦労だった。
 やがて、彼を咎めず、守ってくれる人がいるという安心感からか、勝坊の夜尿症はウソのように治ってしまう。

  そのうち内緒で飼っていた仔犬がついに見つかる日が来る。ひもでつないであったのを食いちぎって、庭を散歩しているところを雪夫に見つかったのだ。しかも仔犬の首に千切れて残っていたのが雪夫の寝間着の紐だったから、ただではすまない。さっそく梅子夫人が現れて、仔犬は泣いてうるさいから捨てて来いと命令する。
 「でも、いじめなきゃ泣かないよ。いじめるから泣くんだい」
 「またそうやって反抗する。捨ててらっしゃいたら捨ててらっしゃい」
 書生の若月が間に入ってとりなし、ようやく飼われることが決まりかけた時、世話は初が引き受けます、と断固とした調子で言った時には、口調があまりにも真剣だったので、みんなびっくりして初を見つめたほどだった。
 こうして仔犬のチビは公認を得て、台所の裏手で飼われることとなったが、それまで仔犬が置かれていた物置小屋のタライの中を整理していた時、初は「おそろしいもの」を発見してしまう。梅子夫人がクリーニングに出していて、確かに届けられたはずなのに、なくなったといって大騒ぎになったオーヴァが出て来たのだ。初まで疑われて所持品を検査されたほどだ。卵色のラシャの切れだとばかり思っていたものは梅子夫人のよそ行きのオーヴァだったのである。藁くずや食べ物などの汚れで散々な状態になっていた。ちょっとやそっとで落ちるような汚れ方ではなかった。梅子夫人に事実をありのままに告げてオーヴァを差し出すのは気楽だが、それでは勝坊を密告するに等しい。
 「そうするには彼女は既に勝見という不遇の少年を愛しすぎていた。
 初はこれを女中部屋に持ち帰り、勝見が寝間着やパンツを押し込んでおいた木箱のいちばん底に隠し、後の処置は時間をおいて考えるつもりだった。けっきょく彼女はオーバーを或る程度きれい洗ってからクリーニングに出し、戻ってきたのを木箱の底にしまい込んだ。これが後に発見されて、誤解を招き、初は濡れ衣を着たまま解雇されることになる。

 加治木家は奥様の梅子夫人が牛耳っており、主人恭平氏の影は薄かったが、その恭平氏の会社の上司で重役の野呂氏の一家が近所に豪壮な邸宅を立てて引っ越してくるのに合わせて、梅子夫人は夫の昇進への期待もあって、「その土地の入手から建築方面の世話まで」一手に引き受け、いよいよ引っ越しとなると、大人たちは一家総出で手伝いに出かけ、初も大鉢に盛った祝いの料理を野呂家に届けさせられる。いよいよ近所づき合いが始まると、梅子夫人は大満悦で、「野呂家と交際するにふさわしい品位を備えることが重要なこの家の生活目的」となる。梅子夫人は「恭平氏が不甲斐ないためにこれまでろくなことはなかったが、おかげでこれから加治木家にも幸福が向いてくると信じ込んでいたに違いない。」

 奥様の「気がかりの種」は、野呂家の御子息で新吾という少年が勝見のクラスに転校してきたことで、さっそく粗相のないよう、勝見はこちらから野呂家に出入りすることを禁じられるが、新吾が遊びに来るのまで追い払うわけにはゆかない。梅子夫人は御子息にまでチリチリしてお座敷にお通しし、粗暴な勝見ではなく、若月か雪夫にお相手を命じる。
 勝見のほうでも「母親のやり方を胸糞わるがって新ちゃんを相手にせず」、もっぱら初とばかり話をして、山形の田舎の人々の暮らしぶりに目を輝かせて聞き入り、やがて初と一緒に庭の掃除や草むしりの仕事まで手伝うようになった。
 勝見のクラス担任の仁木先生が家庭訪問でやって来て、大事な客があるとかで顔を出さない梅子夫人の代わりに茶を運んできた初に、勝見が最近明るくなった、作文に初のことを書いていたと告げられた時には、初は「わけもなく嬉しかった。」

 秋の運動会がやってきたが、あきらが風邪で休んでいて、「走るのは勝見だけなので、家の者は誰も見に行かなかった。初が代理で見に行った。」午後になると父兄が駆り出され、目隠しして子供に手をひかれて走る競技が始まる。しかし勝見には手をつなぐ父兄がいない。担任の仁木先生が初の顔を覚えていて、無理に引っ張ってスタートラインにつかせた。初は走るのが得意だ。「チビを引っ張って駆ける時みたいにジャンジャン走っていい」、曲がるところだけ声をかけて、と言われ、その通りにすると、勝見と初の組がゆうゆう一等になった。
 しかし翌日、やっかんだ新吾が四、五人の仲間を引き連れて勝見を取り囲み、お前ん家の女中はずるい、「目隠しをゆるめて下を見ながら走った」、だから一等になれたんだと、因縁をつけ、「女中ッ子、女中ッ子」と囃したてた。怒った勝見が新吾に飛びかかると、上級生から突き飛ばされて倒れ、脳震盪を起こす。大事には至らなかったが、相手が重役の息子だというので、梅子夫人は逆に相手の身を気遣い、勝見を責める。初が弁護すると、黙っていろと叱られた。
 なおも説教を続ける母親に勝見が「僕悪くないよ」と言うと、「お前はママの子じゃない、鬼っ子ですよ」とまで言われて、少年は泣きじゃくるしかない。
 その晩、初はこの家の親戚のひろ子から、あんまり勝見の肩を持つとこの家にいられなくなるから用心するよう忠告され、勝見がいかに乱暴な少年か、以前の悪たれぶりを話して聞かせる。

 明くる日心配なので、下校の時初が迎えに行くと、途中で例の四、五人組に出くわす。初の姿を見て逃げようとするところをつかまえ、皆を校庭まで引っ張って行って、新吾に手ぬぐいを手渡し、しっかり初の目を縛るよう言い、一緒に駆けっこするよう命じる。ただ、障害物がある時だけは声を掛けて知らせるよう言って、ヨーイ、ドンで走り出すが、新吾は勝負にならないので途中で走るのを諦めてしまい、そんなことに気付かないまま初はコースを外れて運動場の端に置かれていたトビ箱に激突し、体が一回転して四、五メートルも先に投げ出されて気を失ってしまう。気が付いてみると大勢に取り巻かれているのでびっくりしてとび起きた。ひじと腰が痛んだが、怪我はなかった。
 これが梅子夫人の耳に入れば、大騒動になり、初はそのまま暇を出されたかもしれないのだが、幸い若月やひろ子さんが夫人の耳に入らないよう、うまくもみ消してくれた。

 旧正月が来て、初は母親が体を悪くして寝ていると聞いて、二三日暇をもらい、山形の実家に帰った。
 ところが、初の留守中に大変なことが起きてしまう。チビが重役の息子新吾の買ったばかりの新しい靴を片方食べてしまったのだ。初がいる間はチビをいつもしっかり繋いでおいたのに、勝見が世話しだした途端に繋ぎ方が緩かったためチビが小屋を離れて、起きた出来事だった。
 チビは梅子夫人の厳命により、書生の若月が多摩川まで捨てに行かされる。
 学校から帰ってチビが捨てられたことを知ると、勝見は誰とも口を利かず、いつの間にか見えなくなる。いくら探しても見当たらない。
 さすがに梅子夫人もショックを受け、勝見に対する自分の態度を反省する。
 「きみは少し、あれにだけきびしすぎたようだな。」と恭平氏。
 「あなたのせいですよ。あの子がおなかにいたとき何度雪夫をつれて家をとび出そうかと思ったかしれないんですもの」
といった会話から、夫恭平氏の浮気か何かが原因で、梅子夫人が妊娠したことを後悔し、お腹の子とを呪ったらしいことが推察される。これが梅子夫人の勝坊に対する冷遇の原因であると同時に、チグハグした家族関係や人情の希薄さに繋がっているらしい。

 一同思案した結果、勝見はきっと初を追って山形に行ったのだということになり、「なさけない子ねえ、女中のところへ家出するなんて---」と、いかにも梅子夫人らしい嘆き節を口にしたが、それでも若月をお伴に雪深い東北に赴く。いろいろと行き違いの末、勝見がぶじ初の家に保護されているところへ、くたびれ果てた梅子夫人と若月がやってきたのを見て初は仰天する。
 「その梅子の顔を見たとき、初はあゝと、思った。わけのわからない感動で、初は泣き出しそうな気がした。」
 それまでの「鬼っ子」勝見に対して梅子夫人が初めて母親らしい感情を取り戻したことを直感したのである。

 東京に帰ると、チビが四日目に、「痩せ細り、泥んこになって」家に帰って来ていた。

 「山形以来の母の変わり方は勝見には不可解であったがすぐに慣れた。何でも買ってくれるし、何処へもつれて行ってくれた。
 勝見はよくしゃべるようになり、家の中で一人で歌っていることもあった。夜遅くまで皆と一しょに起きているので、早朝に初の部屋を訪ねて来ることもなくなった。」

 初の役割は終わったのである。

 春の大掃除のとき初の木箱の中から奥様の例のなくなったオーヴァが出て来て、初は問い詰められるが、「少年を傷つけたくなかった」ので、黙っていた。
 初は暇を出された。
 勝見少年に一と目会って別れを告げたいと学校に行くが、仁木先生から呼ばれてやってきた勝見は「何だ、八戒か。用事かい?」と言い、後ろから覗いている二三人の同級生を気にして、「学校に来るなよ、女中ッ子ってみんな僕のことを云うから」と言い残したまま、向こうへ駆けて行ってしまった。
 今まで土臭い初の側にいた勝坊が東京の平均的中流社会の側に去って行った瞬間だったのだろうか・・・。

 親切や善行が必ずしも報われるわけではない、といった解説もあるようだが、少し違うのではないか。

 奇妙奇天烈な加治木家の家族関係、特に勝見と母親のねじれ切った関係を修復するには、誰かがキリストみたいに罪を背負って、十字架にかかるぐらいなことが必要だったのではないだろうか。さりとて仔犬のチビでは役不足だし、他ならぬこの家の次男坊勝見少年が犠牲になるなどというのはあってはならない。不幸な少年を愛する初が身代わりの黒ヤギになって、主家の家庭に平和が戻り、勝坊が幸せになれるのであれば、初は濡れ衣を着せられたままでも満足だったのではないか、とも思える。
 ともかく勝見とチビは加治木家に帰り、それと引き換えに初は加治木家を去る。

 だが、それにしてもあんなに陰日向なく身を粉にして働く初が奥様のだいじなオーヴァを盗むなどというのは何かおかしい、ここには何か秘密が隠されているにちがいない、といったことに誰も気づかないとしたら、加治木家の人たちには、いよいよ救いがない。
 それが戦後10年になろうとする大都会の平均的中流家庭の現実であるとすれば、加治木家に訪れた平和は薄っぺらな表面上の平穏でしかあるまい。と同時に加治木家に代表される戦後日本の中流家庭に対するこれは断罪にもなるだろう。
 そんな無事には何の価値もない。
 作者はそのことを書きたかったのかだろうか。

 確かにこの小説は、遠い春雷に初が身震いしながら校門を出るところで終っている。

 なぜ初が暇を出されて突然いなくなったか、理由のありのままを今の段階で勝見少年が知らされることはまず考えにくいが、もう少し大きくなってからなら真相を知らされることはありうる。その時彼は何と言うだろう。どうするだろう。
 それ次第だ。
 小説の結末によって掻き立てられた好奇心、想像力はこのままでは鎮まらない。

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