文学の中の女中(乳母)たち ---日本とドイツ---
日本編
1. 清 (漱石『坊っちゃん』)

 「一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなもの(生意気な旧制中学生たち[引用者注])を相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防《しんぼう》強い朴念仁《ぼくねんじん》がなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清《きよ》なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆《ばあ》さんだが、人間としてはすこぶる尊《たっ》とい。今まではあんなに世話になって別段|難有《ありがた》いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。(中略) 清はおれの事を欲がなくって、真直《まっすぐ》な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。」

 漱石『坊っちゃん』の一節、悪戯好きなうえに生意気な生徒たちに悩まされた坊っちゃんが、東京に残してきた清という年老いた女中を思い出して、懐かしむ場面である。
 女中というのは差別用語で、今ではお手伝いさんと呼ぶのが慣わしだが、明治時代の漱石は女中どころか「下女」と言っている。ところが坊っちゃんにとっての清は「下女」どころではなく、「見上げたもの」で、「すこぶる尊とい」「立派な人間」なのだ。そればかりか、坊っちゃんの清への思いはほとんど恋人か恋女房並みである。

 「考えると物理学校などへはいって、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本《もとで》にして牛乳屋でも始めればよかった。そうすれば清もおれの傍《そば》を離《はな》れずに済むし、おれも遠くから婆さんの事を心配しずに暮《くら》される。いっしょに居るうちは、そうでもなかったが、こうして田舎《いなか》へ来てみると清はやっぱり善人だ。あんな気立《きだて》のいい女は日本中さがして歩いたってめったにはない。婆さん、おれの立つときに、少々|風邪《かぜ》を引いていたが今頃《いまごろ》はどうしてるか知らん。先だっての手紙を見たらさぞ喜んだろう。それにしても、もう返事がきそうなものだが――おれはこんな事ばかり考えて二三日暮していた。」

 清からの返事が待ち遠しくて、東京からの手紙はまだか、まだかと、あんまりたびたび尋ねるものだから、下宿のおかみさんから、そんなに恋しいなら「どうして奥さんをお連れなさって、いっしょにお出《い》でなんだのぞなもし」などと、皮肉られる始末である。

 坊っちゃんが松山に来てから幾つか下宿を移ったために、清からのせっかくの手紙がそこを転々として、坊っちゃんの手元に届くまでに日数がかかったのだった。
 「あいにく風邪を引いて一週間ばかり寝《ね》ていたものだから、つい遅《おそ》くなっ」た上に、「今時のお嬢さんのように読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのによっぽど骨が折れる。甥《おい》に代筆を頼もうと思ったが、せっかくあげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下《し》たがきを一返して、それから清書をした。清書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日かかった。読みにくいかも知れないが、これでも一生懸命にかいたのだから、どうぞしまいまで読んでくれ」と泣かせるような前書きが付いている。
 「なるほど読みにくい。字がまずいばかりではない、大抵《たいてい》平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読《くとう》をつけるのによっぽど骨が折れる。」とはいえ、いかにせっかちな坊っちゃんといえども「この時ばかりは真面目《まじめ》になって、始《はじめ》から終《しまい》まで読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、また頭から読み直してみた。部屋のなかは少し暗くなって、前の時より見にくく、なったから、とうとう椽鼻《えんばな》へ出て腰をかけながら鄭寧《ていねい》に拝見した。」

 中身は、いかにも質朴な庶民らしい処世訓やら忠告が書き並べてあるが、心がこもっているので飽きもせず繰り返し読む。「お小遣《こづかい》がなくて困るかも知れないから」と、給料取りに対して「為替《かわせ》で十円」まで添えられている。
 うす暗くなった縁側で、「清の手紙をひらつかせながら」、もの想いにふけっているところを、晩めしを運んできた下宿のお婆さんから、「まだ見てお出《い》でるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし」などとからかわれる。

 いったい坊ちゃんと清の関係はどんなものだったか。

 清に限らず、文学に登場する女中・乳母は、主家の嫌われっ子、はみ出しっ子、持て余されっ子と気脈が通じあい、家族の中の愛薄い子に愛情を注ぐことが多い

 坊っちゃんは父親からも母親からも可愛がってもらえなかった。母親は「兄ばかり贔屓《ひいき》にし」、父親は「こいつはどうせ碌《ろく》なものにはならない」が口癖だった。
 ところが、「十年来召し使っている清という下女」が、「どういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想《あいそ》をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾《つまはじ》きをする――このおれを無暗に珍重《ちんちょう》してくれた。」
 「この下女はもと由緒《ゆいしょ》のあるものだったそうだが、瓦解《がかい》のときに零落して、つい奉公《ほうこう》までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。(中略) 清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真《ま》っ直《すぐ》でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。」

  清の坊っちゃんに対する愛と信頼は際限がなく、坊っちゃんは「必ずえらい人物になって、(中略) 立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと言い、(中略)うちでも持って独立したら、一所《いっしょ》になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。」

 しかし、坊っちゃんの父親が死ぬと、兄は東京の家を売って、勤めで九州に下り、坊っちゃんは兄に渡された六百円を学資にして「物理学校」に学ぶこととなった。
 清は甥のところに身を寄せ、坊っちゃんが一人前になって、一緒に住める日が来るのを心待ちにして暮らしていた。時おり訪ねて行くと、甥の前で坊っちゃんのことを自慢して、「今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴《ふいちょう》した事もある。」

 だが、清の願いはかなわず、卒業と同時に「四国辺(松山という名は一度も出てこない)のある中学校」へ「数学の教師」として赴任することになる。出発の三日前に清を訪ね、これから「田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩《ごましお》の鬢《びん》の乱れをしきりに撫《な》でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰《なぐさ》めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。」
 プラットフォームで見送ってくれた時、「車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。」

 坊っちゃんはその後、赴任先の中学で、同僚との仲はますますうまく行かず、生徒たちのイジメはひどくなる一方。ほとほと嫌気がさして、「どうしても早く東京へ帰って清といっしょになるに限る。こんな田舎に居るのは堕落しに来ているようなものだ。新聞配達をしたって、ここまで堕落するよりはましだ」などと、「田舎」(松山)や「新聞配達」に申し訳の立たないような愚痴をこぼすが、やがて、例の教頭「赤シャツ」一派との対立から、山嵐と協力して、赤シャツと野だいこが「角屋」旅館に芸者連れで泊まったのを突き止め、早朝に宿屋から出て来たところをつかまえて、二人に卵を投げつけ、黄身と白身だらけにしてやり込めた後、その朝の内に「田舎」松山を後にする。

 「おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄《かばん》を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。」
 もうどこへも行かない、東京で清と〈所帯〉を持つんだ、と言えばメデタシ、メデタシの恋愛小説になったかもしれない。それくらい坊っちゃんの清に対する思い入れは深い。

 しかし明治の若い女はみな、現代の「三高」志願のOLに繋がる「マドンナ」や「お宮」さんのようにカシコク、計算高い。

 清はもはや詩人の夢の中にしか存在しない〈美しい日本の面影〉なのである。
 清のような女に憧れる坊っちゃんはたぶん独身を通すしかなかっただろう。

 漱石もその後の小説では、リアリストとして明治の時代に忠実に、もっぱら「マドンナ」型の女性ばかりを描いた。
 
 坊っちゃんはその後「街鉄《がいてつ》の技手」になって、清と「家賃六円の家」に住む。「清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月|肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向《こびなた》の養源寺にある。」


        小日向 養源寺の清の墓

 清は漱石の旧友米山保三郎の祖母清がモデルだという。
漱石はもともと建築を専攻するつもりでいたが、一高の同級生だった米山保三郎の勧めで志望を文学に変えた。清に対する坊っちゃんの情愛には、敬愛する亡友米山保三郎への思いが映し出されている。
 養源寺は米山家の菩提寺。
 だから養源寺にある「清の墓」は坊っちゃんの清の墓であると同時に、米山清の墓でもある。

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